「神智学協会」組織の腐敗




 『神智学協会はマスター方の事実を教えた。しかし、HP・ブラヴァツキー(HPB)はそのようにしたことを酷く後悔したと(密教部門への手紙で)述べている。この教えは、後の神智学のリーダーたちによって誤って解釈された。彼らはある根本的な間違いを犯した。彼らが描写したマスター方は、――マスター自身、進化しつつあるにもかかわらず――不可能な絶対性で特徴づけられていた。与えられた教えは、自己発達に心を奪われた興味と、個人の開発と解放への強い集中を支持した。イニシエートであるとか、古参の弟子であるとか言われた人々は、神智学協会の外での影響力を持たない全くの並の人々であった。また、マスターへの――マスター方の人格への――完全なる献身が強調された。また、これらのマスター方は、マスター方の指示のもとで働いていると主張する様々な密教グループの組織生活に干渉するものとして提示された。そして、マスター方は、次のような陳述のもとで逃避するグループのリーダーたちが犯した間違いの責任を取らされた。マスターが私に言うように命令した。マスターはこのような仕事が行われることを欲しているなどなど。服従する者は良いメンバーと見なされ、関心を示し、服従することを拒否する者は脱党者と見なされた。個人の自由は絶えず犯され、リーダーたちの弱点や野心は言い訳された。これらすべてをよく知っているアリス・A・ベイリー(AAB)は、絶えず繰り返されるこのような活動のメンバーになることを拒否した。何故ならば、大衆の関心を引き付けたすべてのよく知られている密教グループは実際に、このようなものであったから。私がこのような方法(ハイアラキーと提携していない者が、常に行ってきた方法)で仕事をすることを欲したならば、私は彼女の協力を得られなかったであろう。

 数年前、私はAABに(彼女自身のマスターがなすように)彼女の弟子としての主な義務は叡智のマスターの真の性質を大衆に親しみのあるものにし、これまでに受けてきた間違った印象を取り除くことであると語った。これは彼女はある程度行ってきた、しかし、それは意図されたことを完全になしたわけではない。この主題全体に浴びせられた悪評のため――様々な教師や密教グループによる間違った提示や、私たちに無知な者による馬鹿げた主張ゆえの――彼女はこの仕事を避けた。彼女の前任であるHPBは神智学協会の密教部門に送られたある教えにおいて、マスター方、彼らの名前、彼らの仕事などを発表したことを酷く後悔したと語っている。AABも同様の意見である。神智学協会において描写されたマスター方は次のように描写されなかった。マスター方は追従者(むしろ献身家)に、このようにしろとか何かの組織を作れとかいった命令を発しない。また、マスター方はある特定の個人に極度に重要なハイアラキーでの地位にある者であるなどとは言わない。マスター方は、弟子、イニシエート、マスターがその働き、行為、言葉によって知られることをよく知っている。マスター方はその達成する仕事によってその地位を証明しなければならない。

 マスター方は多くの組織にいる弟子を通して働く。しかし、彼らはその弟子たちを通して組織のメンバーに盲目的な服従を要求することはしないし、組織の方針やリーダーの解釈に同意しない者を教えから排除したりしない。彼らは分離的ではなく、様々な弟子や他のマスター方のもとで働くグループに対抗することはない。マスター方が興味を持つ組織は包括的なものであり、排他的なものではない。彼らは人格と争うことはなく、組織のリーダーが支持されているかいないかという理由で、ある者を支持したり、拒絶したりすることはない。彼らの多くのグループの平凡なリーダーが描写するような見世物的で無作法な人物ではなく、世間的な観点から見て酷く粗悪な人々や、主張や自分に注意を引き付ける行為をしたりする人々を(誓約した弟子や卓越した働き手として)選ぶことはない。見習いの弟子であるということは、献身家である可能性がある。その時、浄化、及び、同胞愛と人類の必要とするものについての知的な理解の獲得が強調される。そして、直接マスター方のもとで働き、世界で活発に活動する、受け入れられた弟子であるということは、メンタル極性、ハートの発達、真の価値観を必要とする。

 これらすべてを知り、また、通常与えられてきたマスター方についての教えの酷い影響を見てきたため、AABは、ハイアラキー、その目標、人員の真の性質を紹介するために、極端な方法を取った。彼女は――ハイアラキー自体がそうするように、――次のものを強調することを求めた。人類と世界奉仕を。彼女が強調したのは、マスター方が三界での人格的な問題と経験を超越してきたにもかかわらず、自然としての訓練の過程にあり、謂わゆる“より高い進化”の道を辿る準備をしているということではない。チベットにいるある弟子たちが私たちに与える名前は私たちの達成点についての糸口を与える。彼らはハイアラキーを“組織化され、啓発されたマインドたちの共同体”――愛と理解、そして、深い同情と包括性によって啓発され、プランについての知識、及び、人類を救済するために自分の進歩を犠牲にした目的の理解への志しによって啓発された――と呼んでいる。それがマスターである。
 注意して欲しい第二の点を示すのに、質問の形式を取る。マスターの行うことが語ったことの真実を実証し、マスターの影響が世界的であるならば、ある者がマスターを指差し、それなりに認知することがどんな害を与えるのであろうか? 不注意の過ちによって、AABが私をマスターであると指摘したことがどんな害を与えたであろうか? 私の影響力を伝達するものである私の書籍は地球の隅々にまで行き渡り、助言と援助をもたらしている。私が示唆し、FBが自発的に進めている善意の仕事は、パンフレットとラジオ、大祈願の使用、トライアングルの仕事、善意の人々の言葉と実例によって、文字通り数百万という人々にまで到達した。

 注意して欲しい第三の点は、戦争が終結した時に始まる新しい周期に、ハイアラキー、及び、マスター方の働きの事実が彼らの弟子たちを通して大衆の関心を呼び起こされなければならず、実際にそのようになるであろうということである。至る所の弟子たちが益々世界にハイアラキーの同胞愛のプラン、霊的な生活、包括性を提示するであろう。これは、“マスターが私を選んだ”とか、“私の努力の背後にマスターがいる”とか、“私はハイアラキーの代表者である”とか言うことによってではなく、奉仕の生活、及び、マスター方が存在し、至る所の人々に知られていることを指摘することによってなされるであろう。プランとは、進化的な発達に関するものであり、知的で霊的な目標に向けての教育的な進歩に関するものである。人類は孤独ではない。ハイアラキーがおり、キリストとその弟子たちと共にいる。静かに活動しているため認識されていないが、弟子たちが世界に溢れている。世界奉仕者新団体が存在し、善意の人々が至る所にいる。マスター方は人格には全く関心がなく、あらゆる姿勢、信仰、国籍の人々を活用する。もしそれらの人々が愛によって動機づけられ、知的であり、訓練されたマインドを持っているならば、そして、個人的に――マスターであれ、弟子であれ――ではなく、真理と善と人々を引き付ける磁力的放射的な影響力を持っているならば。彼らは個人の忠義には関心がなく、苦悩からの解放、人類の進化の促進、及び、霊的な目標の微候にのみ捧げている。彼らは働きに対する報酬や同年輩の人々の賞賛を求めない。世界に光を成長させること、そして、人間の意識を発展させることのみを求めている。』
(アリス・ベイリー著『新時代の弟子道』第1巻・チベット人の仕事の概要/19191943年)



宝珠愚者編 2010.3.24


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