“神智学徒”であるか、
もしくは神智学の影響を多大に受けたらしい人物
在世(現役)の著名人
*神尾 学
東京大学工学部・教育学部、同大学院(体育学・健康教育学専攻)修了。ホリスティック・リーディング研究所・代表。各種身体文化および健康法・代替療法の研究・指導に携わる中で18年前に神智学に出会い、以降、その研究・啓蒙活動に入る。昨年からは、アリス・ベイリーの『秘教治療』を解読する講座に専念している。著書に『秘教から科学へ』(出帆新社)、『人間理解の基礎としての神智学』『未来を開く教育者たちと神智学』(コスモス・ライブラリー)『智のフロンティア』『ホリスティック・リーディング(場J・場K)』(以上、ライフ137)等
公式ウェブサイト:神尾学オフィシャルブログ
*吉永進一
神秘思想研究家、明治期仏教系-神智学研究の第1人者。昭和32年、静岡県生まれ。京都大文学部大学院博士課程修了。専攻は近代日本霊性思想、宗教学。現在、舞鶴工業高等専門学校人文科学部門准教授。編著『日本人の身・心・霊近代民間精神療法叢書』(全15巻、クレス出版)、監訳『天使辞典』(創元社)、論文「明治期日本の知識人と神智学」「ウィリアム・マクガヴァンと大乗協会」など。
・オルコット去りし後――世紀の変わり目における神智学と“新仏教徒”
・近代日本における神智学思想の歴史
*小森健太朗
ミステリ作家。1965年、大阪生まれ。89年、東京大学文学部哲学科を卒業。82年に、『ローウェル城の密室』が史上最年少の16歳で第28回江戸川乱歩賞の最終候補となる。
作中には、哲学や歴史の薀蓄が多いのでも有名。『探偵小説の論理学』で第8回「本格ミステリ大賞」評論・研究部門受賞。受賞作はラッセルの論理学などを下敷きに、クイーン、笠井潔を論じたのち、西尾維新や『ひぐらしのなく頃に』といった近年の流行をも射程に収めた意欲作。
*安藤礼二
1967年東京生まれ。早稲田大学第一文学部卒業。多摩美術大学芸術学科准教授、同大学芸術人類学研究所所員。2002年「神々の闘争―折口信夫論―」で群像新人文学賞評論部門優秀作受賞。2004年に刊行された同作品の単行本で2006年芸術選奨文部科学大臣新人賞受賞。2009年『光の曼陀羅 日本文学論』で大江健三郎賞受賞。他の著書に、『近代論
危機の時代のアルシーヴ』、編著に『初稿・死者の書』がある。
*信楽香雲
神智学の影響を受けた鞍馬寺貫主/信楽香雲が昭和22年(1947年)10月に天台宗より独立して立てた宗派。《 鞍馬弘教の初代管長/信楽香雲氏は、日本の神智学者/三浦関造氏(神智学協会日本ロッジの前身的拠点『竜王会』を創設)との親交の中から掴み得た知見を元にして自分で鞍馬弘教としての教義と儀軌を体系化しました。特に、これはアリス・A・ベイリー派からの影響を強く受けたものです。昭和29年、鞍馬弘教が初めてウエサク祭を公開した秘儀の夜、三浦氏を招いてこの祭典についての講演が開催されました(三浦氏自身も同じ頃に団体『竜王会』を設立した)。》
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歴史上の著名人
*三浦関造
明治一六・七・一五〜昭和三五・三・三〇(1883〜1960)キリスト教徒、翻訳家。福岡県生れ。福岡師範、青山学院神学部卒業後、弘前で一年間牧師。「六合雑誌」などで活躍、トルストイ、ドストエフスキーなどの翻訳、『二人の苦行者』(大一〇・一二聖書文学会)、『聖者あらたに生る』(大一四・五万生閣)など多くの著訳書を著した。また、タゴール研究家でもある。戦後は統覚の行に専念、綜合ヨガと形而上学を教え、「至上我の光」を発刊。没後ヨガ関係書が龍王文庫から刊行された。/「日本近代文学大事典」より
当初、昭和24年に神智学ロッジ、そして綜合ヨガを提唱し、昭和28年にその実践団体となる「竜王会」を設立した。尚、2003年以降、神智学ニッポン・ロッジは、総合ヨガ・竜王会と完全に分かれ、インドのアディヤールに本部がある神智学協会の直属の下部団体として活動をしている。
*鈴木大拙
1870年11月11日(明治3年10月18日) - 1966年(昭和41年)7月12日)は、禅についての著作を英語で著し、日本の禅文化を海外に広くしらしめた仏教学者(文学博士)である。著書約100冊の内23冊が、英文で書かれている。梅原猛曰く、「近代日本最大の仏教者」。1949年に文化勲章、日本学士院会員。
《神智学徒で禅の研究をしていたアメリカ人女性と結婚し、自身もインド・チェンナイにある神智学協会の支部にて神智学徒となったのが世界的な禅研究者として知られる鈴木大拙です。大拙はブラヴァツキー著『沈黙の声』を絶賛して、夫人のことをこう評していたといわれる。
『チベット仏教についての知識は、その当時の大衆や西洋の学者が入手できる情報よりも豊富であり、彼女はまた秘密仏教の修行についてもよく知っていた。この知識は鈴木大拙博士によっても裏付けられた。彼は述べている。「次の世紀に禅を西洋にもたらした人物であり、疑いもなく、ブラヴァツキー夫人はある意味で大乗の教えのより深いところに参入していた。」』(『ヘレナ・ブラヴァツキーに当てられる新しい光---コニー・ハーグレイブによる書評』より)》
*宇野円空
1885−1949 大正-昭和時代の宗教学者。明治18年11月27日生まれ。ヨーロッパ留学ののち,昭和2年母校東京帝大の助教授。16年同大東洋文化研究所教授,18年所長となる。宗教民族学の研究で知られ,17年「マライシヤに於(お)ける稲米儀礼」で学士院恩賜賞。昭和24年1月1日死去。65歳。京都出身。著作に「宗教民族学」「宗教学」など。
*幸徳秋水
1871年11月5日(明治4年9月23日) - 1911年(明治44年)1月24日は、明治時代のジャーナリスト、思想家、社会主義者、無政府主義者。本名は幸徳傳次郎(こうとく
でんじろう)。秋水の名は、師事していた中江兆民から与えられたもの。大逆事件(幸徳事件)で処刑された12名の1人。
*芥川龍之介
1892年(明治25年)3月1日 - 1927年(昭和2年)7月24日)は、日本の小説家。号は澄江堂主人、俳号は我鬼。幼い頃から病弱・神経質で、泉鏡花や滝沢馬琴などの江戸の文学、「西遊記」「水滸伝」などを愛読。美術や工芸などにも興味を示した。中学時代から抜群の秀才として知られ、東京帝大在学中に菊池寛らと同人誌、第三次・第四次『新思潮』を創刊。1915年に第四次『新思潮』に載った「鼻」が夏目漱石に激賞され、新進作家として華々しくデビューした。
その作品の多くは短編である。また、「芋粥」「藪の中」「地獄変」「歯車」など、『今昔物語集』『宇治拾遺物語』といった古典から題材をとったものが多い。「蜘蛛の糸」「杜子春」といった児童向けの作品も書いている。
*浅野和三郎
1874年(明治7年)8月 - 1937年(昭和12年)2月3日)は、日本の心霊主義運動の父。『日本心霊科学協会』創立者,スピリチュアリズムの思想哲学や心霊現象・超常現象を科学的に研究する、1946年設立の心霊研究団体。前身は心霊科学研究会及び東京心霊科学協会であり、浅野和三郎が設立。浅野和三郎の死後も活動を続けていたが、第二次世界大戦で活動を休止、日本心霊科学協会を設立する。1947年2月以来、機関誌『心霊研究』を毎月発行。1949年に財団法人の認可を取得し、東京都教育委員会所管となる。目的は、心霊現象に関する諸般の科学的研究を行うと共にその成果にもとづき人生の指導原理の普及を図って人類の福祉に貢献することである。
*飯森正芳
(1880−1951)海軍機関中佐。キリスト教の洗礼を受け、トルストイに心酔。また大杉栄や堺利彦などの無政府主義者や社会主義者と交友。「赤化中佐」と騒がれる。大正4年(1915)頃、友人の福中鉄三郎の紹介で、大本に入信する。昭和28年(1953)に帰幽。
*平井金三
(1859→1916)は京都出身で、父は儒者・書家の平井義直(春江)、母は山科の西宗寺の出身である。幼名は鱗三郎でのちに金三郎と改めたが外国人と交際するようになってから、呼びやすい金三で通すことが多かったという。明治大正時代の言語学者・宗教家・思想家・僧侶・心霊研究家と肩書が多い。東京外国語学校、慶応大学等で教え、姉崎政治、加藤咄堂、平野威馬雄は平井から英語を学んだ。明治22年に神智学協会のオルコットを招聘したことで知られている。また明治26年シカゴで開催された世界宗教会議では流暢な英語で弁舌をふるった。平井は明治42年に「心霊の現象」を著して、アメリカ滞在中に体験したサイコメトリー実験会の模様や自己の心霊体験などを記した。
*川端康成
1899年(明治32年)6月14日 - 1972年(昭和47年)4月16日)は、日本の小説家。大阪府大阪市北区此花町(現在の天神橋付近)生れ。東京帝国大学文学部国文学科卒業。横光利一らと共に『文藝時代』を創刊し、新感覚派の代表的作家として活躍。『伊豆の踊子』『雪国』『千羽鶴』『山の音』『眠れる美女』『古都』など死や流転のうちに「日本の美」を表現した作品を発表し、1968年(昭和43年)に日本人では初となるノーベル文学賞を受賞した。1972年(昭和47年)、満72歳で死去。
*黒岩 涙香
(1862年11月20日(文久2年9月29日) - 1920年(大正9年)10月6日)は、明治時代の知識人、思想家、作家、翻訳家、探偵小説家、ジャーナリスト。兄は黒岩四方之進。本名は黒岩周六。ほかに、香骨居士、涙香小史などの筆名を用いた。号は古概、民鉄、黒岩大。あだ名はマムシの周六。戒名は黒岩院周六涙香忠天居士。翻訳家、作家、記者として活動。『萬朝報(よろずちょうほう)』を創刊した。
*折口信夫
1887年(明治20年)2月11日 - 1953年(昭和28年)9月3日)は、日本の民俗学者、国文学者、国語学者であり、釈迢空(しゃく
ちょうくう)と号した詩人・歌人でもあった。彼の成し遂げた研究は「折口学」と総称されている。
*大谷光瑞
1876年(明治9年)12月27日 - 1948年(昭和23年)10月5日)は日本の宗教家。探検家。明治時代から昭和時代までの浄土真宗本願寺派第22世法主。伯爵。諱は光瑞。法名は鏡如上人。院号は信英院。大正天皇の従兄弟にあたる。
*山田耕筰
1886年(明治19年)6月9日 - 1965年(昭和40年)12月29日)は、日本の作曲家、指揮者。日本語の抑揚を活かしたメロディーで多くの作品を残した。日本初の管弦楽団を造るなど日本において西洋音楽の普及に努めた。また、ニューヨークのカーネギー・ホールで自作の管弦楽曲を演奏、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団やレニングラード・フィルハーモニー交響楽団等を指揮するなど国際的にも活動、欧米でも名前を知られた最初の日本人音楽家でもある。軍歌の作曲も多く手がけている。
*友清歓真
(1888〜1952)「神道天行居」の創始人で「霊の国防論」の中心人物。ユダヤ陰謀論の信者。山口県山口市生まれ、11歳頃、神隠しに遭う。青年時代、政治運動に熱中し、下関門司で『六連報』『東亜評論』等を創刊。そして、宗教に関心を持ち始め、45歳頃(大正7)、出口王仁三郎の大本教に入信、翌年(1919年)離脱。
大本教時代、機関誌『神霊界』を健筆を揮う。大本離脱後、長沢雄楯と接触、そこで「格神会」を組織し(1920年)、堀天龍斎の太古神法(1927年より相伝を受けたという)、宮地神道を吸收し、天行居へ改名(1927年10月)独自の密教霊学を確立。宗教結社「神道天行居」を創設。神道霊学の理論家としても知られる。
*今東光
(1898年3月26日 - 1977年9月19日)は、天台宗僧侶(法名 今 春聴)、小説家、参議院議員。新感覚派作家として出発し、出家後は住職として住んだ河内や津軽・平泉など
奥州を題材にした作品で知られる。翻訳C・W・リイドビーター『神秘的人間像』文曜書院 1940年作家・評論家で、初代文化庁長官を務めた今日出海は弟。儒学者の伊東梅軒は母方の祖父。医師で第8代弘前市長や衆議院議員を務めた伊東重は母方の伯父。国家主義者の伊東六十次郎は従弟。外交官の珍田捨巳は遠縁にあたる。父武平は第一次世界大戦時に船がドイツの無差別攻撃で巡洋艦エムデンに追わたが、智略によってこれを回避したりした。また、有数の神智学者としても知られる。
*五井昌久
1916年(大正5年)11月22日 - 1980年(昭和55年)8月17日)は、日本の宗教家。宗教法人白光真宏会の開祖。祈りによる世界平和運動を提唱した。岡田茂吉の霊線療法に興味を持ち、岡田の弟子に講習を受け病人の治療を開始する。また、生長の家の谷口雅春の教えに感銘を受け弟子になる。生長の家の講師として活動を開始するが、後には生長の家から離れることになる。1955年(昭和30年)2月、千葉県市川市に宗教法人「五井先生鑽仰会」を設立(なお、もともと「五井先生鑽仰会」は、五井を師と仰ぐ人々によって結成されたものである)。のちに「白光真宏会」と改称。当初の活動は、人生指導や病気治療を主とした活動であったが、その根底にある思想は、人々の心が平和になることによる、大調和世界(完全平和世界、地上天国)の実現であった。
-----紹介したプロフィールはWikipedia等々のネット情報より転載
《 》内の解説は宝珠による
(もし、情報に間違いがあれば訂正します)
*竹下雅敏氏はリストから除外します
(小島露観氏などの邪悪な人格者や精神崩壊者は読者に神智学についての誤解を誘発するため)
宝珠編著 2012.11.10
追記 2016.11.18
リンク修正 2018.11.29