本来の無我説



 『自我とか自己について、古代インドのウパニシャッド文献では、「われはブラフマン(絶対者)なり」と説いている。この考え方は、古代インドではもっとも正統的な思想と考えられ、後世ヴェーダーンタ学派の一元論哲学に継承されてゆく。これに対して仏教は、「無我」を説き、正統派の我論とはラディカルな対象を見せている。もっとも仏教の無我説の内容も、時代により、学派によって、さまざまであり、大乗仏教のある段階になると、たとえば『涅槃経』や『勝鬘経』のように、清浄にして常住なる我(アートマン)を積極的に承認しようとする主張も現れるようになる。』
(松本史郎著『仏教への道』東京書籍刊p22



 『自分の思うままにならないから、自分の我ならざるものである。自分の我でないものであるというならわがものではない。これはわれではない。つまり自分の体とか精神作用とか、あるいは自分が持っているもの、財産とかあるいは名誉とか地位とか、そういうものもわれではない。これはアートマン(a^tman)ではない。アートマンとはインドのことばで自分のことを指します。--中略--
 古い漢訳の聖典を見ると「非我」という訳のほうが多いのです。もとのことばでいうと、パーリ語なら「アナッター」(anatta^)となりますが、それが名詞ですと「非我」「我ならざるもの」ということになります。それから形容詞として使いますと「我を持たないもの」というわけです。仏教は無我を説くといいますが、なにも自己がないとか、アートマンがないとか、そういうことを説くのではないのです。その我執をなくするという教えです。ことばは違いますが、趣旨としては同じことになるわけです。』
(中村 元著『原始仏典U/人生の指針-こころを読む2』東京書籍刊p122



 『初期の仏教においては、さらに無常の理法から無我説を導き出している。経典の最古層に現れた無我説を見ると、いかなるものも変化し消滅するものであるから、人は何ものをも<わがもの>(mana)<われの所有である>と考えて執着してはならない。修行者は先ず<わがもの>という観念を捨て去らねばならない、という。したがって無我説とは、こういう意味の我執、執着を排斥しているのであった。--中略--
 およそ自己の所有と見なされているものは、常に変滅するから、永久に自己に属しているものではない。自分が死んだならば、自己の所有のごとくに見なされている人々(例えば家族)は、自分から離れてしまう。したがって、自己の所有に執着してはならない---と。
 さらに経典の中のやや古い部分には定型句としての説明がある。それによると、われわれの経験するありとあらゆるものは無常であり、苦しみをともなうものであるから、それは我(アートマン)ならざるものであるという。われわれの存在を構成するものとしての「物質的なかたち(または感受作用・表象作用・形成作用・識別作用)は無常である。無常であるものは苦しみである。苦しみであるものは非我(アートマンならざるもの)である。非我であるものはわがものではない。これはわれではない。これはわがアートマンではない。」という文句が経典の中にしばしば繰り返されている。(無常非我として定型化されているのである。)
 世人がアートマンであると解するかもしれないいかなる原理あるいは機能も、実はアートマンではない。またアートマンに属するものでもない。世間の凡人ならびに哲学者たちは、われわれの存在の内奥にアートマンを想定し、アートマンを求めている。ウパニシャッドの哲人たちは、殆どすべてアートマンを求めた。そのほか当時の哲学者たちは一般にアートマンという実体を想定していた。しかしわれわれ人間の具体的存在を構成している精神的あるいは物質的な要素ないし機能のいずれもアートマンと解することはできない。それらは絶えず変化するものであるから、常住不変なるアートマンに相反している。またそれらは苦しみをともなうから、理想的完成的実体としてのアートマンとは異なるものである。--中略--

 しからばわれわれの自己(アートマン)はいかなるものであるか?それは対象的には把捉され得ない。世人がアートマンであると解するかもしれない、いかなる原理あるいは機能も実はアートマンではない。またアートマンに属するものでもない(この理法を漢訳仏典では「諸法無我」(注)という。この場合の「諸法」というのは「ありとあらゆるもの」という意味に解して差支えない)。
 
(注)後代の大乗仏教の中観派によると、この場合の「無我」とは「自性(svabh^va=An-sich sein)をもたぬこと」の意味に解されている。

 
無我説は仏教の根本思想であり、仏教を他の諸哲学思想からはっきりと区別する標識であると言われている。しかし少なくとも初期の仏教は「我が存在しない」と主張したのではない。ただ客体的・実態的あるいは機能的なアートマン観に反対したのである。アートマンが存在するか、あるいは存在しないか、という問いに関しては、初期の仏教徒は沈黙を守っていた。--中略--

 故に、初期の仏教においては、アートマンが存在しない、と主張したのではない。仏教の哲学は唯物論と非常に良く似ている面もあるが、しかし決して唯物論ではない。むしろ道徳的な意味における行為の主体としての自己(アートマン)を行為の問題に関する前提として承認している。人は義務を果たす者でなければならぬ、自己を愛すべしという。ここでいう自己の利(attha)あるいは益(bita)なるものは、物質的・感覚的・亨楽的なものを意味しているのではなくて、真実の認識、真理の体得を意味しているものであることはいうまでもない。
 こういうわけであるから、「自己の利を思うて自己を抑えるのである」(SNT,p.238 G.)という表現も成立するのである。釈尊は遊楽に耽っている青年たちに向かって「婦女を尋ね求めること」よりも「自己を尋ね求めること」を薦め、そしてかれらを出家させたという。従前のインドでは<アートマンの探求>という表現が形而上学的な意味に理解されていたのを、ブッダが倫理的な意味に改めたのである。
 したがって自己は自己にたよらなければならない。「自己は自己の主である」(『ダンマパダ』160)。また自己ならざるものを自己と見なしてはならない、とも言う。
 原始仏教はこの自己を形而上学的なものとしては想定しなかったが、実践的・主体的に深い意義をもつものと理解した。このような真実の自己にたよるということは、人間としてのあるべきすがたを実現することであり、人間としての理法に随順することである。人間は人間としての規範に従って行動することのうちにこそ、人間としての主体性が認められる。原始仏教聖典においては、「自己に帰依する」ということと「法に帰依する」ということとが同義語として併称されている。自己が義務をつくさねばならぬということも、このような観念によって理論的に基礎付けられていたらしい。
 無我説というと、我を無くすることであると教えられていたから、何らの権威に対して盲従することになるのではないか、と批判されたこともあるが、無我の倫理は法の実現をめざす努力であり、それは真実の自己を実現することにほかならない。』
(『東洋思想5/中村元著「ブッタの教え」』東京大学出版会刊p15-19



 『無我説といえば、いかなる意味の我も認めない説と考えるために、「我」を認める説が阿含経にあるのを、奇異に感ずる人があるであろうが、無我の立場でも我は認められている。むしろ無我の否定によって、自我への執着を減じて、それをこえたところに、自己の真実のすがたを発見しようとするのが、無我説の趣意である。我を肯定しては、みにくい自我の淘汰はできない。しかしこの我をこえていけば、無我と言っても、我と言っても、それほどのちがいはないとも言えよう。--中略--

 「無我」という立言をなしても、それを主張している自己は存在する。この自己は、肉体と精神とから成り立っており、自覚的行動をなす個人である。この常識の認めている自己を否定することはできない。したがって無我と言っても、この自己をいかに理解するかという問題に帰着するわけである。それゆえ阿含経にも、自己を認める教説は多い。たとえば、仏陀が死にさいして弟子たちに言いのこしたという「自己アートマンを灯びとし、自己を帰依処となせ」(注)という教説などは有名である。--中略--

 (注)阿含経にはアートマンを認めている教説は多い。その点については、中村元編『自我の無我』28頁以下の中村元博士の研究、ならびに同、390頁以下の拙論参照。

 しかしそれだから「私」は成立しないとか、存在しないと言うのではない。現にこの無我の論証の教証の中に、「私がそれではない」「それは私の我ではない」と言って、明瞭に「私」を認めているからである。無我においても私は認められる。むしろ無我において見られる私こそが、ありのままの、正しい私である。しかもその私が我と別であることは、「それは私の我ではない」と言っている点から明らかである。「我」の色づけを取り除いたとろに見られる私が、真実の自己である。--中略--
 自己には、自己によって認識されない部分がはるかに多いのである。しかもそこにこそ、自己の重要な部分がひそんでいるのである。--中略--

 しかし上述の経には、「それ(五蘊)は私の我ではない」と言っているのみであるから、五蘊以外に「我」があると考えれば、問題は別になろう。このように考えられた我は、いわゆる「離蘊の我」であるが、この教説には、この離蘊の我については、何も言っていない。その理由は、離蘊の我は認識できないものだからである(注)。

(注)離蘊の我については、ヤマカ比丘と舎利弗との問答が理解に資するであろう。「如来は死後に断滅して、何も残らない」と主張したヤマカに対して、舎利弗が、「五蘊の中に如来があるか」「五蘊を離れて如来があるか」等と質問して、その邪見を捨てしめたのである。SN.vol.V,pp. 109-12. 南伝大蔵経、第14巻、174-78頁。『雑阿含』巻5、大正230-31下。いまは細説を略するが、その趣意は、認識されないものについて、その有無はいえないということである。したがって離蘊の我がないと、積極的に否定することは勿論できないことである。』
(『東洋思想5/平川 彰著「初期仏教の倫理」』東京大学出版会刊p51-62) 



 『インドの正統バラモン思想は、宇宙の根本実在としての原理をブラフマンあるいはアートマンと名づけ、われわれの現象世界はそれの顕現であると教える。そして、アートマンを知ることによってアートマンそのものに成ることができるという立場に立って、根本実在の原理を哲学的・理論的に究明するとともに、その理論にそって宗教的・実践的に実証することを教えの眼目とした。
 ゴータマ・ブッダに創まる仏教は、この正統バラモン思想の伝統をうけつぐとともに、それを超克して、まず人間はいかにあるべきかの課題から出発した。つまり、人倫の理法の探求を目指しつつ、現実の自己が理法にかなった理想の自己をいかに確立するかという、実践の面を尊重した。従って、ゴータマ・ブッダは、いかなる原理も権威もすべて拒否して、ダルマ(理法)はサティア(真実)であり、アルタ(利益)であることを明らかにしようとした。--中略--
 ゴータマ・ブッダは、アートマンを「自己」「自身」という人間の実践的立場から使用して、『ウパニシャッド』の根本実在の原理としてのアートマンを認めなかった。なぜならば、与えられた原理に固執して、むなしい哲学的思弁に浮身をやつすことは、なんら宗教的にも実践的にも役立たないことを知っていたからである。このようにして、ブッダは本来の自己とは何か、真実の自己はいかにして実現されるかを追究した。ブッダのさとりの内容が「縁起」の道理を明らかにしたのも、正統バラモン思想の陥った固定的・実体的な自我思想を回復する点にあったといえよう。それ故に、ブッダはアートマン思想の正しい理解と実践を明らかにするために、ブッダ当時のさまざまなアートマン観を否定した。このブッダの批判的立場が、仏教教団の発展に応じて、ブッダはアートマンの存在を否定して、無我すなわちアートマンがないと主張した、と考えられるようになった。しかしながら、こうした後代の理解は、ブッダの教えを誤るものというべきだろう。--中略--

 仏弟子テーラカーニ長老が歌ったと伝えられているものに、つぎの詩句がある。--- 
 わがものという思いが、わたしの内心に生じて、急速に熟する。身体は接触を起こす六つの感官を有し、(わがものという思いは)つねに、そこから起こる。(『テーラ・ガーター』755
 したがって、「われとかわがものという見解に愛着した人々」(『テーラ・ガーター』765)は、憂いや苦しみを生ずるから、正しい智慧によってこの見解をすてされねばならない。アディムッタ長老はこのように言う。---
 人が、この世間は草や薪のようなものであると智慧をもって見るとき、かれはわがものという思いをもたず、 わたしにはこれがないといって憂えることがない。(『テーラ・ガーター』717。『スッタニパータ』951参照)
 わがものと対照的にとらえられたものは、自己自身の所有となった事物である。自分の子供や財産などだけでなく、自己自身も“”わがものである。従って、自己すら自己のものではないと原始仏教は教えている。---
 愚者は、わたしに子供たちがある。わたしに財産があると思って、(それに)悩まされる。けだし、自己すら自己 のものではない。どうして子供たちが(自己のものであり)、どうして財産が(自己のもの)であろうか?(『ダンマパ ダ』62
自己自身をわがものと執着する場合、直接的には、心の作用も含めて身体を指す。 
 この身体をわがものと思う闇愚の凡人たちは、恐ろしい墓を拡大し、再生を受ける。(『テーラ・ガーター』575
 窟いわや(身体)のうちにとどまり、執着し、多くの(煩悩)に覆われ、迷妄のうちに沈没している人、このような人は実に厭離から遠く隔たっている。実に世の中の欲望を捨て去ることは容易ではないからである。(『スッタニパータ』772--中略--

 「非我なるものを我と見てはならない」という最初期仏教の教えからすれば、我すなわちアートマンの存在を否定するものでないことは明らかである。むしろ、積極的に、凡人のとらわれている自我観をすてて、真実の自己(アートマン)を実現すべきであると教えている。ブッダが、遊びにふけって婦女を追い求めている青年にたいして、自己(アートマン)を尋ね求めることを勧めた話は、有名である(Vin.Maha^vaggaT,13.p.23)。
 つまり、日常生活において悪業煩悩をつくってばかりいる自己を反省するとともに、そうした自己を真実の自己にまで高めていく理想実現が期待されていた。「自我を捨てた者」(『スッタニパータ』790)とか「自己の離欲を求める」(『ダンマパダ』343)、「自己のけがれを去る」(同、388)といったことばが、非常に多いのは、とらわれの自己を、いかにしてとらわれぬ自己とするかの実践的主体的な探求に他ならない。それ故に、自己を調御し、自己に気をつけ、自己を修め、自己のつとめを果たすということが仏典の古層において強調されている。その場合、自己とは形而上学的な意味の実体としてのアートマンではなく、あくまでも実践に即したものであったから、心と同じに使われていた。心を調御し修養し防護し、心を直くし、心の安定・清浄・寂静をうることが、くりかえし説かれていた。 
 こうして、自己を克服し、自己を修養することは、自己を護り愛することでもあった。『テーラ・ガーター』と『テーリー・ガーター』において、仏弟子たちは最高目的たるさとりの獲得を指して、己利こりすなわち自己の利益と呼んでいる。己利に向かって精励する仏弟子たちは、自己を愛するがゆえに、自己を守り(『ダンマパダ』157)、自己をさまたげ傷つける悪徳の捨離に専心した。また自己を愛しむことは、同時に他人をも愛しむことと異なるものではなかったから、自他の差別をこえることが大切であるとされた。
 自我の実現は、心清浄の道を歩むことによってである。『ダンマパダ』の詩句を見よう。--

 人は自己みずから悪事をなして、自身で汚れる。人は自己みずから悪事をなさずして、自身で清浄となる。人そ
 れぞれに清浄となり不浄となる。人は他の者を清浄にしない。(『ダンマパダ』165)。
 すべての悪事をなさず、善事を実行し、自身の心を清浄にすること、これがめざめた人たちの教えである。(『ダ
 ンマパダ』183)。
 自己こそ自己の主である。一体、他の誰が主であろうか?自己がよく調御されたならば、かれは得難い主を得
 る。(『ダンマパダ』160)。
 自己こそ自己の主であり、自己こそ自己の依り所である。それ故に、商人が良馬を制御するように、自己を制御
 するがよい。(『ダンマパダ』380)。

 ブッダは「わたしは自己に帰依した」(D.U,p.120 G)といわれた。仏弟子もみずから策励して「そなたは、自己の良い州を作れ。なぜならば、そなたには、他の依り所がないからである」(『テーラ・ガーター』412)と述べている。このようにして、ブッダは形而上学的な立場から自己を把えることに沈黙して、宗教的実践の道行きにおいて、自己を探求した。だから、「自帰依、法帰依、自州、法州」ということばが、広く散文の経蔵において使われるようになった。「自己に帰依する」の自己とは、法すなわち真理の教えに順い、それを体得した自己である。つまり「自己を知る者」こそ、法の体現者であり、真実の自己の実現者であるとされたのである。--中略--

 第一の理由は、原始仏教から部派仏教になると、無我の考え方が変容したことである。すでに前項で見たように、原始仏教における無我説は、決してアートマンが存在しないとは説いておらず、むしろ実体として固執する種々のアートマン論の過誤を指摘して、論理的実践的な意味における本来の自己あるいは真実の自我の探求を教えた。その後、アビダンマ教学の盛んな部派の時代に進むと、積極的にアートマンは存在しないと主張することとなり、本書の編纂さ
れた時代は、こうした考え方が支配的であった。したがって、仏教の無我説は時代の変遷とともに、その解釈が大いに変わった。無我即無霊魂という考え方もその所産である。ナーガセーナ長老もアビダンマ教学の説く無我説の立場から、無我とは無住普遍の実体のないことであり、個人にとっては実体としての人格的個体の存在しないことであり、更に無霊魂である、と明言している。
 ブッダの時代にあっては、決して霊魂の有無を論じなかったし、仮に論じたとしても、それは宗教的実践に何ら役立たない形而上学的論議として斥けられていたものである。保守伝統教学をもって特色とする部派のアビタンマに至って、ブッダの説いた真の意味の無我説がゆがめられたのには、それ相当のわけがあった筈である。つまり、人間性の探求と真実の自己の実現という、生き生きしたブッダの無我観が、部派仏教になると、アビダンマ教学の得意とした精神現象の分析と、およびバラモン教神学の有我論との対決という観点から、我を立てない無我論へと移っていったのである。シナでは、アナートマンを無我と非我との二つに訳したが、今日、一般に誤って無我を我がないととるならば、むしろ、我でないという意味の非我の訳語のほうが、最初期仏教のアナートマンの原義にふさわしい。』
(『東洋思想5/早島鏡正著「無我思想の系譜」』東京大学出版会刊p75-95



 『つまり、永遠不変のアートマンが五蘊のいずれかであれば、われわれは永遠に生きる。しかし、もしそうであれば、人生の無常ということもなく、またそれに由来する悲しみも苦しみもないはずである。しかるに悲しみや苦しみは絶えずついてまわる。これは、万人が認める厳然たる事実である。したがって、五蘊のいずれもアートマンなどではない、というのである。この議論は、やや形而上学的に聞こえるかもしれないが、やはり、経験的な事実を出発点とした議論である。釈尊は、ここでも経験論から踏みはずすことはない。「これもアートマンではない、あれもアートマンではない」という表現は、じつは、ウパニシャッドの哲人ヤージュニャヴァルキアの教えに酷似している。かれによれば、真実のアートマンを言語的、概念的に把捉することはできず、せいぜい、「〜ではない、〜ではない」(ネーティ、ネーテイ<あらず、あらず>)と、否定辞を連ねるしかないというのである。もちろん、かれは、釈尊とはちがって、言語的、概念的には把捉されない真実のアートマンの探求に大いに情熱を燃やしたのであるが。
 「仏教は無我にて候」と昔からいわれている。しかし、最初期の仏教では、無我説ではなく、非我説が説かれていたと見るべきである。無我説は、そもそもアートマンなるものは存在しないという、高度に形而上学的な議論を骨子とするものであり、釈尊には似つかわしくない。ちなみに、のちに無我説を唱えた仏教は、輪廻の主体としてのアートマンがないのなら、輪廻や因果応報をどう説明すればいいのかという問題の解決に苦心することになる。とてもではないが、無理なことを説明するために、多大な学問的労力が払われた。』
(宮元啓一著『仏教誕生』筑摩書房刊p173-174



 『この無常観をさらに補助するものとして考案されたのが、非我説、非我観である。「我」の原語は、サンスクリット語で「アートマン」、パーリー語で「アッタン」であり、要するに、先の第三問で見てきた「自己」のことである。自己は、輪廻転生を貫く主体であり、常住にして不変だとされる。
 ところで、われわれは、心身を自己だと勘違いすることが多い。だからこそ、人生の無常がわからず、死という無常に直面するまで、安逸に生きてしまうことになる。これを戒めるために、ゴータマ・ブッダは、心身を五つ要素に分け、そのいずれも常住の自己ではない(非我)と説いた。これを五蘊(ごうん)非我説という。
 ---非我説から無我説へ--- 一方、ゴータマ・ブッダは、経験論の立場をとり、経験的事実を出発点としない、いわゆる形而上学的な議論には、みずから口を閉ざし、また、弟子たちにも、そのような果てしない水掛け論に熱中して修行がおろそかになることを強く戒めた。
 そこで、ゴータマ・ブッダは、日常的な会話には「自己」ということばをふつうに用いているが、自己をめぐる形而上学的な質問には、沈黙をもって対応した。
 ところが、ゴータマ・ブッダが入滅してからしばらくすると、心身のいずれも自己ではないならば、そもそも自己なるものはないのだとする、きわめて形而上学的な無我説が誕生することになった。親の心、子知らずというか、後世の仏教徒たちは、ゴータマ・ブッダの重要な戒めを忘れてしまったのである。』
(宮元啓一著『インド哲学七つの難問』講談社刊)



 『さて、それでは、無我とは如何に理解されるべきであろうか。無我とは我〈atman〉の無をいうと考えられてきた。原語のanatmannir-atmanatmanの否定である。しかし、中国でこれが無我と訳されるだけでなく、非我とも訳されるように、それは「atmanでないもの」という名詞であり、単にatmanの存在の否定ではない。パーリ所伝の古いものには「わがもの」という執着が苦悩を引き起こすという立場からS.N. 469には「如来は貪欲を離れ、わがものという執着なく、希求することがない〈vitalabho amanoniraso.〉」といい、またS.N. 495には「真実の行者はわがものという執着なくして行ず〈amama caranti〉」と。また、S.N.220には「善き誓いをもっている人にはわがものという執着はない〈amamoca suphato〉」といっている。このように否定さるべきものはmamaなのであり、atmanではない。それは自己ではなく、自己の所有物についての執着の否定である。

 また、無我について、S.N. 756には「神と並びに世人とは非我なるものを我と思い名称と形態とに執着している〈anattam attamanam __ niviwwha/ namar[pasmin.〉」といい、自己の身体・家族・財産・地位など自分にとって大切だからと、自己そのものでないものをわがものと、それに我執をもつ、そのような我はないというのが無我の意味である。このように、古い経典ではatmanの無をいうのではない。いな、逆に自己を求めよ”“自己を大切にせよ等という経典にさへ出会うのである。

 《Vinaya, Mahavagga 1.13》には、アートマンをアートマンとみて、それを追及し真実の自己を見いだせ”“婦女を尋ね求めることより、自己を尋ね求めよ〈attanam gaveseti.等と説いている。

 また、Theragatha 587には「自己の利益を識別すべし」〈vijaneyyasaka/atta/.S.N. I. p.14 _ tasma hi pazfito paso, sampassa/ attha/ attano, yansovicine dhamma/.〔この故に、賢老は自己の利をみて、正しく法を思慮せよ。〕Dhamma_pada 157 atmanは愛しきもの〈piya〉である。

 A.N. II p.21- されば、自己を愛し〈attakama〉偉大なるものを希求する人は諸佛の教えに帰依し正法を尊重すべし。等と説かれていて、atmanという言葉は必ずしも否定の対象となっていないのである。以上のように、古い経典ではatmanattaと言われた我の否定ではなく、atmanでないものをatmanの如くみることを斥ける意味で無我を説き、atmanatmanとして正しくみ、真実の自己をたずねよといっているのである。非我なるものを我とみてはならないというのである。この意味で、佛陀の教えは必ずしもインド的なものから全く別であったといってはならないであろう。ところが、やがて此のアートマンでないものということがアートマンを有しないという形容詞として用いられ、我の存在の否定の意味をもつようになり、これが、部派佛教の考え方となったのである。我を常一主宰と規定して、そのような何者かがあるとするのが、輪廻転生を説くバラモン教のおしえであり、其にたいしてそのような我はないというのが釈尊の教えであると考えたのである。このように、古い経典に用いられた「我」の理解がどうして解釈の違いをおこすことになったのであろうか。恐らく、かの『ミリンダ王問経』に見られるような、ギリシャ的な思想の影響をうけて形成された説一切有部の教学の性格によるのであろう。』
(武邑尚邦著『東西思潮と仏教思想』)



 『ブッダは本当に「自己(アッタン、アートマン)」を説いていたのか、いや、まったく、絶対に説かなかったのか。仏教の重大問題であるその謎にせまろう。
 仏教は無我説であるとたびたび言われてきた。漢訳の阿含経典の中に「無我」という語があるときは、相当するパーリ語の経典では「アナッタン」の語が相当している。アナッタンというのはアッタンに否定の接頭辞アンがついたものである。このアナッタンの意味には一般的に二通り考えられる。「自己はない」という意味と「自己ではない」という意味である。
 阿含経に説かれるアナッタンは「自己はない」という意味なのだろうか、それとも「自己ではない」という意味なのだろうか。後代、「無我」は主として「自己はない」という意味を担うようになってくる。したがって、とりあえず「無我」には「自己はない」という解釈を便宜的に与えておこう。「自己でない」という意味でもっぱら用いられる「非我」という漢訳もあるので、区別して使うことにしよう。--中略--

 それでは、問題の「自己(アッタン)」に移ろう。これはaまたはbの形式で書くことが許される存在であろうか。つまり、「自己はある」または「自己はない」と書くことができるか、ということが問題になる。もしこのように述べられるのであれば、「自己」は、おそらく「法」と呼びうる存在であり、そして、当然「生じ滅する存在」とブッダが承認したことになるのである。
 しかし、このようなことは阿含経典の中には見当たらない。これにかんしては、中村元博士の『原始仏教の思想』(上巻165頁)にも、初期仏教では「アートマン(アッタン)は存在しない」とは説かれていない、と名言されている。
 したがって、ブッダにとって「自己」は生じ滅する法ということはありえない。もし、ブッダが「自己はない」と語ったとすれば、当然生じ滅する法として「自己はある」も語っていなければならないのである。ブッダの公式に載せられる語でなければならないからである。
 abの形式の文に限って言うならば、ヴィトゲンシュタインの語った「語りえぬものには沈黙しなければならない」という文は有効に効いている。「〜がある」「〜がない」の「〜」に代入できるのは自らの存在論で認めたものだけである。いかにブッダといえども、この文の形式ではヴィトゲンシュタインの言葉にしたがわざるえないのである。それだから、ブッダは「自己はない」とは語らなかった、そして、もちろん「自己はある」とも語らなかった。いや、語りえなかったと述べた方がいっそう正しい。--中略-- 

 このような疑問に答えたのが、五蘊非我を説く文である。五蘊とは、先ほど(160頁)述べたが、人間存在を主体に五つの集まりに分けて説いたもので、色形(色)、感受作用(受)、表象作用(想)、志向作用(行)、識別作用(識)であった。これらはブッダの認める法(存在要素)である。これらの一つ一つについて、ブッダは、

 色形は自己ならざるもの(無我)である
 感受作用は自己ならざるもの(無我)である
 表象作用は自己ならざるもの(無我)である
 志向作用は自己ならざるもの(無我)である
 識別作用は自己ならざるもの(無我)である

 と説明する。これまで、伝統的な解釈に従って「無我」に「自己はない」という意味を便宜的に与えておいたが、実際には、阿含経典では「無我」は「自己でない」の意で用いられていることがわかるだろう。ブッダが「自己はない」は説きえないことがはっきりしている今となっては、これは当然のことだが。--中略--

 そして、ブッダもまたこのような一般の人々や弟子たちとこの文体で「自己(アッタン)」を語るのである。
 たとえば、「子ほど可愛いものは存在しない」という言葉を受けてブッダは、「自己ほど可愛いものは存在しない」と語る。(中村元『神々との対話』24頁)
 「(自分の)利益を求めている人は、何を与えてはならないのか?人は、何を捨て去ってはならないのであるか?」という言葉を受けてブッダは、「人は(利を求めて)自分を与えてはならない。自分を捨て去ってはならない」と語る。(『神々との対話』101頁)
 比丘にたいしても「この世で、自己を州とし、自己を宿とし、他を宿とせず、法を州とし、法を宿とし、他を宿とせず住せよ」(『ディーガ・ニカーヤ』16.2.26)と説くのである。前半の「この世で、自己を州とし、自己を宿とし、他を宿とせず」という部分は、まだ修行の入って間もない弟子たちに向かって言ったものだろう。修行を積んでブッダの教えがわかってくると「自己」という考えを捨てて、法を宿すことができるようになるのではないかと思う。
 このように、存在論や認識論の哲学的な議論の時とはうってかわって、自己を説くアートマン論者も顔色なしと言いたくなるほど、ブッダは積極的に自己を語っている。そして、そのように積極的に「自己」を語る理由も明らかにするのである。『サンユッタ・ニカーヤ』(『神々との対話』4041頁)の中で、

 なすべきことをなし了え、煩悩の汚れを滅ぼし、今や最後の身体をたもっている真人となった修行僧は、「わたしが語る」と言ってもよいのでしょうか。また「人々が〔これこれは〕<わがもの>である、と語っている」と言ってよいのでしょうか。

 と尋ねられたのに対して、ブッダは次のように答える。

 なすべきことをなし了え、煩悩の汚れを滅ぼし、今や最後の身体をたもっている真人となった修行僧は、「わたしが語る」と言ってもよいでしょう。また「人々が〔これこれは〕<わがもの>である、と語っている」と言ってもよいでしょう。真に力量ある人は、世間における名称を知って、言語表現だけのものとして、〔仮りに〕そのような表現をしてもよいのである。(『神々との対話』4041頁)

 煩悩の汚れを滅ぼした真人(阿羅漢)、すなわち、修行を完成した尊敬すべき人は、「わたしが語る」というように、eの行為主体を主語とする形式で語ってもよい、とブッダは述べるのである。この文の形式は、冒頭の経典では「誰が食べるのですか」とパッグナが尋ねた文の形式である。このときブッダは「『(誰かが)食べる』とわたし(アハン)は言わない」として、この文の形式で語ることを禁じたのであった。この場合この文体が禁じられていたのは、存在論や認識論にかかわるブッダの哲学説を説くところだからである。
 しかし、この日常言語で語る世界は、哲学の問題を語る世界とはちがう。そのようなことを了解できているものであれば、どのような言語によろうとそれにとらわれてしまうことはない。そこで、修行を完成して煩悩の汚れのないものは、どのような言語表現によっても、それはただ相手にあわせて語るだけの、表現のみのことであるからかまわないとするのである。
 また、「わがもの」という語についても、「これはわがものである」という表現とかかわってもよいとするのである。このように、真実を見極めたものは、自己を語る人々が用いる言語表現を用いようと、その言語表現にしばられることがない。』
(石飛道子著『ブッダ論理学五つの難問』講談社刊p156-175




宝珠愚者編 2009.9.20
  2012.2.19早島鏡正著「無我思想の系譜」増転載




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